【読書レポ】素晴らしい一冊に出会った、おじいちゃんのおかげかもしれない_0315
みなさま、こんばんは。
いつもは朝起きて彼を送り出してから、ひとりの時間を使ってブログを書くので、夕飯の食レポの記事をあげるまでにタイムラグが発生します。
でも明日は職場の先輩とランチをする約束をしています。
正直、ドキドキしています。
なのでゆっくりブログ書いている余裕はないので、今晩のうちに更新します。
どうしても書きたい記事があるときは、書きます!
今日、夕方Amazonからこちらが届きました。
昨晩注文した「昭和の家事 母たちのくらし」です。
著者である山崎和子さんのお母さまが家事を教えてくれる素晴らしい一冊です。
山崎和子さんは、この本で食べ物を作ること、着るものと布団のこと、住まいの周辺のこと、そして家事について考えるというコンテンツでまとめてくれています。
写真をたくさん使って、昭和の味をふんだんに演出していて、昭和という時代を生きていないワタシもその世界に吸い込まれるような気分に浸りました。
特にワタシが心をうたれたのは、第二章の「家事について考える」のところです。
ここからは、著者の言葉をお借りしながらワタシなりに昭和の家事のすばらしさをお伝えしたいと思います。
みなさま、"家事"ってどんなものだと思いますか?
「忙しいのに面倒だ」
「やってもやっても終わりが見えない」
「女ばかり大変な思いをして苦痛だ」
と、家事というものは女性にとって目の仇にされてきたと思います。
でも家事って、24時間365日休暇のないものなんです。
仕事の中でも最も大変で、業務量の多い職業だと思います。
昔の主婦は、家中の誰よりも早く起きて竈(かまど)に火をくべ、ご飯を炊き、家族に食べさせ、送り出し、掃除をし、井戸端にしゃがんで山のような洗濯をして、干し終われば片付けものをし、縫い物をし、近所づきあいをし、日が傾けば洗濯物を取り込んで買い物に行き、風呂を焚きながら夕飯の支度で、食べ終われば後片付けをして、繕い物などの夜なべをし、家族が入り終わった最後の風呂に入って寝るというのが最低の日課でした。
これを家族のために無償でやっていた昭和の主婦は、何をやりがいに、何のために
ここまで出来ていたのか、疑問に思いました。
ただ、そのあとに答えがありました。
戦後、女性の社会進出が認められるようになり、自己の表現が自由になり、快適さへの指向などさまざまな欲求がが強くなったそうです。
昭和という時代が終盤を迎えるころ、もう昭和の主婦という存在は少なくなっていたと思います。
そしてワタシが生まれた平成の時代は、生活にいろんな形があろうとも時代は豊かでした。
家事のもつ教育力について、山崎和子さんは
心を込めて、注意深く、どんな食材も無駄なく生かし切って使い、美味しく作って食べる人を喜ばせ、安心を与えることが大事である、そしてそれを段取りよくせよ
と鎌倉時代の話をもとに記していました。
さらに、家事が育てる生活術について、
職人の仕事でも農業でも商売でも仕事はすべて同じですが、家事は貧富や地域の別なく、どこの家でも、毎日毎日すること、範囲がきわめて広いこと、複雑なこと、大人でも子どもでも、男でも女でも、あらゆる人がかかわれることが特徴です。
確かに、ワタシも幼いころ、母や祖母が台所で料理する姿を見てきましたが、
「火というものは、弱火・中火・強火というのがあるのか」
「水だけで油汚れは落としにくいのか」
「ネギは生で食べたら辛いのか」
「煮物をするときは蓋をするのか」
「お米のとぎ汁は肥料になるのか」
と、観察力が養われていたと思います。
それに、そういう姿を見て段取りの大切さを学びました。
いわゆる"効率化"です。
でもそういうノウハウというのは、24時間365日休みのない無間地獄を経験しなければ、身につかないものだとワタシも思います。
忍耐力、豊かな感性はこういう経験をしなければ(その経験を素敵だと思わなければ)養えないものとも思います。
そして何よりワタシが感じる昭和の素敵さは、本の終盤にありました。
家事が育てる人とのつながり です。
家事の範囲は大変に広く、炊事、掃除、洗濯、掃除、裁縫といった、いわば技術的なもののほかにも、育児、教育、看護、つきあい、買い物、家計管理、年中行事、宗教行事、冠婚葬祭と多岐にわたっています。これはいずれも人間的な面の多い領域のため、社会性を育てるうえで非常に重要な役割を果たす部分です。
著:小泉和子 『昭和のくらし 母たちのくらし』 より
ワタシは、埼玉県で生まれ埼玉県で育ちました。
田舎から親戚がくることなんてそうそうありませんでしたし、祖父母が近くに住んでいたので田舎に行くこともありませんでした。
でも彼が、出身地での想い出をこの本を読みながら「わかるわかる」と共感していました。
"一宿一飯"の話をしたとき、
「俺は、銭湯に行くと知らないおじいちゃんに話しかけられるのは当たり前。体を拭いてでること、入る前にかけ湯をすること、あがった後は牛乳を飲む、それがマナーみたいなもんだった。それは身内でもないおじいちゃんたちから教わった。」
と言っていました。
近所のひとに留守番を任せたり、子守をお願いしたり、お土産をもらった時は”お福分け”をしたり、そんな当たり前はもう消えそうになっています。
時代というのは変わっていて、いつまでも昔にすがってはいけないとわかりつつも、ついそういうものに憧れを抱いてしまいます。
今日この本を読んで、ワタシは改めて日本人の女性の強さを知りました。
時代は変わっても、人とのかかわり方が変わっても、ワタシはこの本から学んだことや幼いころに学んだことは貫き通すべきだと思いました。
火や水や食材の性質を理解して、無駄なく生かし切って使います。
注意深く、心を込めます。
美味しく作って食べる人を喜ばせます。
安心を与えます。
段取りさえしっかりしていて、相手を思いやる気持ちがあれば出来ない事なんてありません。
人として強くなります。
女性として頼もしくなります。
着飾ることとか、艶やかであることは望みません。
汚れたっていいし、腰が曲がってもいいです。
生きることに一生懸命でいたいです。
あるべき姿を追求したいと思います。
興味がある方はぜひ読んでみてください。
小泉和子さん、ほかにもたくさん作品があります。
今日という日に、この本に出会えたのは、なんか、なんだか、おじいちゃんのおかげかもしれないな・・・(^ω^)
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