【パニック障害】時代がそうさせた!誰のせいでもなかった
今回は、26歳の春に知り合った“パニック発作”についてお話ししようと思います。
2017年の4月頃、人生で初めて『死ぬかもしれない』という恐怖を感じました。
今思えばただのパニック発作で、20分もすれば元に戻れるようなものでした。
今、芸能界でもパニック障害等で休職してる人って本当に多いですよね。
ワタシは彼らの気持ちがよーくわかります。
呼吸の仕方がわからなくなって、死ぬかもしれないという不安感に襲われて、めまいがしたり、身体全体が硬直するような恐怖に襲われます。
しかも、やつらは突然やってきて元気な心を蝕んでいきます。
よりによって大事なときにです。
ワタシも、同じでした。
一年間順調に回復してたと思いきや、溜まっていたものが破裂したのです。
これからクリスマスを控え、年末年始の大セール。
誰もが『体調管理も仕事のうち』と自分に言い聞かせて頑張っている最中でした。
日に日に状態は悪化して、朝の満員電車に乗ると猛烈な吐き気と心臓のドクドクが伝わってくる。
とりあえず降りよう。
って満員電車の人混みを掻き分けてホームに戻る。
だけど次の電車も満員。
満員状態の電車に加わって乗るほどつらいものはありません。
そこにいる全員の目が凄く鋭い。
『乗るの?乗らないの?どっちなの? …結局乗るんかい。』
みたいな。
何回電車を見送れば、この状態から脱出できるのだろう…と毎朝考えていました。
本当は午後からの出勤なのに、当時のワタシは通勤になにせ時間がかかるもんで、同居人には『今日は通し(オープンからクローズまでのシフト)だから』と嘘をついて、早く出た日もありました。
仕事はアパレル店員のような、そうでないような、ある意味特殊な販売員をしていました。
接客が好きでした。
お客様がおうちに帰って、袋をあけるときのワクワクした気持ちを想像すると、こっちまでワクワクしてきたり。
予約制じゃないのに、予めお店に電話がかかってきて、声だけでその方が誰かわかり『○日○曜○時に行くから!』と特別枠の指名がはいったり。
『最近忙しいのね。顔が大分やつれてる。』と心配して差し入れをくださったり。
接客業でしか得られることの出来ない、感動や感謝がたまらなく好きでした。
お世話になっている大好きな上司の期待に応えたいから。
共に闘うチームのみんなにこの仕事を楽しいと思ってもらいたいから。
その気持ちが頑張れる最大の理由でした。
でも、その頑張りたいという強い気持ちが裏目にでて、クリスマスを目前に控えた12月中旬にワタシの心と身体は砕け散ったのでした。
これがきっと本当の疲労困憊。
誰にも出せなかったSOSを土曜日の忙しい昼間に爆発させてしまいました。
その日を境に一度も職場に出向くことなく、心療内科クリニックに通院するようになりました。
先生いわく
『あなたの病気は、自分で自分の命を落とさない限り死ぬことはないから絶対大丈夫』
だそうです。
なんてストレートで薄情な物言いかとその時は思いましたが、通院していくうちに、気付きました。
そのストレートなジャッジを下されなかったら、曖昧にまた死の恐怖を感じながら生きていただろう、と。
また別の記事でこういった症状のことを書こうと思いますが、誰にでも起こる可能性があるということを知ってもらいたいです。
それに、こういう心の病をよく知らずに、甘えだとか軽く捉えてる人がいたとしたら、それは大きな間違いだと思います。
時間は止まってくれないし、時代は変わる一方です。
俺の時代は…とか、私は昔こうだったから…とか、もうそういう言葉は通用しなくなる時代になりました。
何事もラクに手に入れられる時代、明日欲しいものが明日には届く時代です。
学のないワタシでさえそれを痛感します。
時代に人がついていけてないし、ついていこうと必死に頑張る人ほど心の病になりやすいんだと思います。
これは、自分にも言い聞かせるようにしています。
明日は黙っててもくるということ。
信頼できる人にSOSを出すこと。
このあとは、ワタシがパニック発作がでて、自律神経失調症に悩まされてるあいだ、救ってくれた(現在進行形ですけどね)方々のお話をさせてもらいます。
最後まで読んでくれてありがとうございました。